目の前に暗黒の宇宙空間が広がっていた。
アイマスクして馬頭星雲に迷い込んだような暗闇であり、星の輝き一つ観測できないというシンプルなギャラクシースペースで、はっきり言いや手抜きの書き割り背景だ。もうちょっと何か演出があってもいいんじゃないかと思いもすれ、まあ何かと都合があるのだろうこの宇宙空間にも。予算とか技術とか時間とかそういった感じのものがさ。
「何も見えねえな」
と俺は呟いた。さっきからモニタは単なるブラックオンリーの色彩で、ほとんどディスプレイの故障を疑ってもよさげな雰囲気を俺の目に伝えている。
この宇宙空間のどこを彷徨しようかと俺が思案していたところ、虚無的な画面上の下部から突如として光点が登場、そのままずんずん前進を開始したため、たまらず俺は意見具申することにした。
「おいハルヒ、もうちょっと下がったほうがいいんじゃないか? お前の旗艦が前に出すぎだぞ」
それに対するハルヒの返答はこうだった。
「作戦参謀、あたしを呼ぶときは閣下と言いなさい。SOS団団長は軍の階級で言えば上級大将くらいなんだからね。こん中で一番エライの」
誰が作戦参謀で誰が閣下かと言い返す前に、
「涼宮閣下、敵艦隊に不審な動きがあるとの長門情報参謀からの連絡です。いかがいたしますか?」
古泉が状況を報告した。ハルヒの回答は、
「かまうこたないわ。突撃あるのみよ!」
まったくハルヒらしい指令だが、誰もそれに従うわけではない。つか、誰も従ったりはしなかった。まともにあいつらとやり合っても種子島三段撃ちに立ち向かう武田騎馬軍団のようにズタボロにされるのは解りきっている。
朝比奈さんが不安げな表情で片手を挙げ、
「あのう……。あたしはどうしたら……?」
「みくるちゃん、邪魔だからあなたの補給艦隊はそこらへんを適当にウロウロしてたらいいわ。期待してないから。キョン、あんたと有希と古泉くんで敵の前衛を蹴散らしなさい。そしたらあたしがトドメを刺しに出るからね。厳かに!」
誰かこいつを止めてくれと言いたい。
俺はモニタに目を戻し、SOS団宇宙軍における自艦隊の位置取りを再確認した。 <キョン艦隊> と名付けられた俺率いる一万五千隻の宇宙艦隊は、ちょうど <ハルヒ☆閣下☆艦隊> の真後ろを追撃する形で前線へと進発している。その横に <古泉くん艦隊> が随伴し、一番頼りになりそうな <ユキ艦隊> は俺たちの遥か前方で索敵行動を取っていた。補給艦を引き連れた <みくる艦隊> がどこにいるかを探せば、朝比奈さんのおぼつかない操作によって開戦スタート時から迷走を繰り広げている。
「わー。どっち行けばいいんですかぁ?」
朝比奈さんは悲鳴に近い困惑の声を上げて、いつものように困っていた。
どこでもいいです。俺たちの後ろの方をウロチョロしていてください。画面上の艦艇といえども、あなたの名前が冠されたモノが傷物になるのは見たくありませんからね。
不意に、見つめる画面に変化が訪れた。 <ユキ艦隊> が放った索敵艇からの情報が、データリンクされた俺の艦隊にも伝えられてきたのだ。味方艦隊のシンボルマーク以外黒一色だった宇宙空間に、長門の捕捉した敵部隊の位置情報が表示される。
「下がれ、ハルヒ」と俺は言った。「奴らは艦隊を分散させている。多分、お前の位置を探ってるんだ。大将は大将らしくしてろ。後ろでふんぞりかえっていればいいんだよ」
「なによう」
ハルヒは唇を突き出して異を唱えた。
「あたしだけ除け者にする気なの? ズルいわそんなの。あたしだってビームやミサイルをピコピコ撃ち合ったりしたいのに!」
俺は <キョン艦隊> に微速前進を命じるかたわら、
「いいかハルヒ。お前の旗艦がやられたらその時点で俺たちは負けるんだぞ。見てみろ。突出している敵の艦隊四つは雑兵どもだ。旗艦艦隊は後方で指令だけしてるんだろうよ。将棋やチェスだって王将がお供もなしで敵陣にずかずか上がったりはしないだろう? しかもこんな序盤にさ」
「それは……そうかもね」
ハルヒの渋い顔で、だがどことなく自尊心をくすぐられたような表情をした。俺を見る瞳は猫がエサをねだる時のような形をしている。
「じゃあ、あんたたちで何とかしなさい。敵の旗艦を見つけ出してバシバシ砲撃するのよ。あんな連中に負けてなるもんですか。勝つのよ。負けたら栄えあるSOS団の名が廃ると言うものだわ。なにより、あいつらが調子に乗るのが我慢ならないのよね!」
「閣下」
すかさず古泉がご注進に走った。
「長門情報参謀の <ユキ艦隊> が敵前衛と会敵しました。これより戦闘行動に移ります。閣下におかれましては、我々の後方に遷移し、全体的な戦術指揮をお願いしたいと愚考する所存であります」
真剣そうなセリフだが、微笑み混じり言われても現実性に欠ける。
「あら、そうなの?」
ハルヒは古泉のベンチャラにご満悦となり、団長席で腕組みしながら腰を反らした。ロクな戦術指揮能力もないのに階級が高いというだけで隊長をやってる士官学校出の若手キャリアのような顔をして、
「古泉幕僚総長がそう言うなら、言うとおりにしてあげる。じゃあ、みんな、しっかり働くのよ。ちょこざいなコンピュータ研の連中なんかギッタギタのメッタメタにやっちゃいなさい。狙うのは殲滅よ。木っ端微塵に打ち砕くの」
完全勝利を目論んでいるようなのはモチベーションとしては正しいのだろうが、この宇宙戦には相手の思惑もあるということを忘れないほうがいい。敵コンピュータ研だって同じ野望を持って参戦していることだろう。
そして俺の見る限り、我がSOS団側の勝算は旧日本軍がレイテ沖で米軍に完勝を納める確率よりもなお低いと見積もられる。歴史にifはないが、同数同戦力でリプレイしたとしてもコテンパにやられるのが主だった筋書きになっているに違いないね。とっとと白旗を揚げた方がいいんじゃないだろうか。
「ま、そうもいかないんだろうが」
と俺は腕まくりをして、画面の敵影情報を再確認した。さすがは長門、旗艦部隊を除いた敵艦の位置をほぼ網羅するデータを送ってくれている。ここから我が軍を勝利に導くのは、大げさにも作戦参謀の肩書き押しつけられた俺の頭脳と手腕似かかっているというわけだ。
どうしたものだろう?
「さて……と」
俺は刻々と変化するノートパソコンの液晶を見つめながら、ハルヒ司令官閣下の思惑通りに事態を終える方策を考え始めた。その前に、今このような事態に俺たちが置かれている状況を説明しておいたほうがいいかな。混乱する前に考えをまとめることは人生のあらゆる岐路で有益だ。では、そうしてみよう。
事と次第は、一週間前に遡る。
某月某日の秋の放課後。
文化祭が終わって数日が過ぎ、学園に静けさが戻っていた。
てのはありふれた導入部分の常套句で、早い話が祭前の状態に回帰しただけであるのだが、それにしてもまあ無事に終わってくれただけでも有り難い気分になっているのは俺だけではないと思いたい。
真正直に腹の中を打ち明けてくれたわけでもないから正式には解りかねるものの、古泉の微笑はいつもより安堵の比重が勝っているようだったし、長門のいつもの無表情もそれを裏付けるかのようだ。
とにかくここ最近、この読書マシーンがぼんやり本読んでいる姿を何よりの平穏の証拠であると見なすようになっていて、もし長門が妙な行動を取り始めたり、ましてや慌てふためいたりするような光景を目にしたならば、俺はそろそろ遺書か自叙伝かのどちらかを書く用意をするに違いない。おそらく長門にとって不測の事態なんてのはほとんどないはずだから、こいつが文芸部の部室でのどかに海外SFの原書を読んでいるということは、恐るべき悪夢が間近に迫っているわけではないという確固たる証拠と言えよう。
その一方で、未来から来たとはとても思えないほど過去の事をなんにも知らない美少女ニセメイドさんは、今日も無意味な奉仕的給仕女性の衣装を完璧にまといつつ、あっつ熱の日本茶を真剣な目と手つきでもって淹れていた。どこから仕込んできたのか、各種お茶っ葉に対するお湯の最適な温度という知識を入手した朝比奈さんは、湯沸しポットではなくわざわざカセットコンロにヤカンをかけて湯を沸かすようになっている。片手に持つのは温度計であり、そんなもんをフタ開けたヤカンに突っ込んで慎重な眼差しをしているメイドルックのふわふわ未来人なんてのもここでしか見ることはできまいね。なんか微妙に間違っているような気もするのだが、間違い探しを始めたらこのSOS団アジトで間違っていないものなどまったくない。何もかもが間違っているからだ。唯一正常なのは、自分が確かに存在しているというこの俺の意識のみである。いやまったくデカルト様々だ。
この文芸部室のはずがいつのまにか涼宮ハルヒとその一味の根城になってしまった異空間で、こうも正気を保ち続けている俺は意外にけっこう大物なのかもしれないな。考えてみれば俺以外の連中は最初から変な背後関係を持っているわけだし、団長のハルヒはいつまで経っても謎にまみれた存在、まがりなりにも常識的な客観性を持っているのは俺だけというこの有様をどう思うよ。
ボケ四人に対してツッコミ一人とは、いくらなんでも比率がおかしすぎるぜ。せめてもう一人くらい俺の精神疲労を共有するような人間がいてもいいんじゃないだろうか。だいたい俺だってそうそう律儀にツッコミ入れる性癖を持ってないんだぞ。そんな気にならん時だってある。俺だけがこんな責務を負わされているのは不公平だと恨み節の一つでも唄いたいところだが、かと言って谷口や国木田を巻き込んでやろうとも思わない。気の毒だからではなく、能力的な問題さ。あの二人にハルヒと対抗できるボキャブラリーと反射神経があるとは思えないし、そういやあいつらと鶴屋さんもどっかボケてるよな。くそったれめ。この世は狂ったもん勝ちか。
「うーむ」
俺は腕を組み、さも難しいことを考えているような唸り声を出した。別にいま古泉とやっている囲碁の次の一手を悩ましく思っているからではない。古泉の黒石を大量死に追い込むことはそれほど難易度が高くないのだ。ゲームマニアのくせに全然上手くならない古泉と一緒にしてもらっては困るぜ。そうではなく、この世界は本当に正気なのかどうかを俺は心配している。なぜなら狂った世界では狂った人間しかまともに生きていけないだろうと俺は推測しているからだ。正気の人間こそがそこでは狂気に侵されていると見なされるだろう。よくもまあ、こんな理不尽と不条理渦巻くSOS団部室で普通の高校生をやれるもんだと我ながら感心するね。そろそろ誰か誉めてくれてもよさそうなものだ。
「ならば僕が賞賛の言葉を贈って差し上げましょうか」
古泉は格好だけは様になっている手つきで盤上に石を置き、俺の白石をかすめ取りながら微笑んだ。所作は一丁前だがな。目先の石ころに注意するばかりでは、数歩進んだところにある溝にハマるという近未来が待ち受けていることにえてして気づかないものさ。
「遠慮しておこう」
俺は答え、碁石の容器に指を突っ込んでジャラジャラ言わせつつ古泉のまるで本心から俺を讚えているような表情を眺め返し、さほどの喜びを得られることなく無気力に言った。
「お前に誉められても嬉しかねえよ。何か裏があるんじゃないかとかえって不安になるだけだ。言っておくが、俺はゲームの駒じゃないんだからな。お前たちの思うとおりに動くと思ったら大間違いだ」
「その『お前たち』というのが、どの僕たちなのかお聞きしたいところでもありますが、とんでもありませんよ。涼宮さんもあなたも、まったく予測できないことをしでかしてくれますからね。僕がここにいるのが一つの確かな証明でしょう」
もしも、古泉が転校してくるようなことがなければ、ハルヒはこいつをSOS団の一員にしようとは思わなかっただろう。あいつにとって必要だったのは「古泉一樹」という人間の性別や性格や人柄やルックスではなく、単に転校してきた、というただそれだけの理由だ。変な時期に慌てて転入してきたのが運のつきだったな。あるいはハルヒに近づくためにわざと転校してきたのかもしれないが、いちおうハルヒが探し求めるところの超能力者であるこいつからしたら、いつチェレンコフ放射を始めるか予測不能な放射性物質の近所にいるようなものだろうし、ヘタに近づきたくなかったというのが本音かもしれん。
「それは過去形ですよ」
古泉はつまんだ碁石を見つめて、
「あの当時は確かにつかず離れず監視するだけにとどめておく予定でした。ですから涼宮さんが最初に僕の所を訪れて、その日の放課後にこの部室へと連れてこられてたときは肝を冷やしましたよ。おまけに活動目的が宇宙人未来人超能力者を捕まえて一緒に遊ぶことなどと宣言されましたしね。もう笑うしかありませんでした」
懐かしそうに思い出を語る古泉だった。
「ですが今は違います。僕はかつて謎の転校生だったかもしれませんが、その属性は現在の僕から失われています。涼宮さんはそう考えているでしょうね」
じゃあ何だ。俺にしてみれば、お前はまだまだ謎だらけだぜ。
古泉は部室を見回し、狭い場所を好む猫のように隅っこの椅子に座って読書にふける長門を見て、次にヤカンと睨めっこしている朝比奈さんを見つめてから、視線を一周させて戻ってきた。
ハルヒの姿はない。クラスの掃除当番に当たっているからであり、そうでなければ俺と古泉がこんな会話をのんびりやっているはずもない。
その団長不在の部室で、古泉は怪我をした小鳥を治療しようとしているベテラン獣医のような笑みととともにこう言った。
「僕も長門さんも朝比奈さんも、それから当然あなたも、今や立派なSOS団の一員です。それ以上でもそれ以下でもないのですよ。涼宮さんは、そのように考えているはずです」
SOS団の団員以上および以下という分類に何の意味があるのだろう。
「意味はありますよ。宇宙人や異世界人といった一般人類外の存在が団員以上、団員以外の一般人類が団員以下です」
谷口や国木田、鶴屋さんや俺の妹は団員以下なのか。あいつらや鶴屋さんをかばうわけではないが、連中が俺以下の存在価値しかないってのを黙ってうなずくのは心が痛むぜ。
「非常に簡単な論理です。彼らが涼宮さんにとって重要な存在として目されているなら、彼らは我々の一員としてここに居るはずです。いない、ということはすなわち、彼らは涼宮さんにとって重要でない、つまり単なる通りすがりの一般人である証拠なのです。まったくね、結果論ほど論証が楽な論理もありません」
「異世界人はどうした。まだ来てないのか」
「結果論的に、今のこの世にはいないでしょう。いたなら、何らかの偶然なり必然なりによってこの部屋に呼ばれているでしょうから」
「来なくて幸いだ。違う世界なんぞに行きたくねえよ」
俺が白石を振り下ろして古泉の大石を頓死させるのと、勝敗の見えてきた碁盤の横に湯飲みが置かれるのが同時だった。
「お待たせしちゃって、ごめんなさい。お茶です」
弱小校の野球部を就任一年目にして地区大会優勝に導いた監督のような笑みを浮かべて、朝比奈さんがすぐ横に立っていた。
「雁音っていうのを買ってみたんです。上手く淹れることができたと思うけど……。高かったんですよぅ?」
自腹を切らせてしまって申し訳ない。代金は後でハルヒに請求するべきでしょう。いやまあ、そこまで茶葉に凝らなくても、朝比奈さんの御手が差し出すものなら水道水でも俺にはエビアン以上の品質です。
「うふ。味わって飲んでね」
すっかりメイド装束が板についてきた朝比奈さんは、古泉の前にも湯飲みを置くと、慣れた所作で盆を掲げ持ったまま、残った湯飲みを長門の元へと運んでいった。
「…………」
いつものように長門は無感想だが、朝比奈さんからしたら素直に礼を言われるより何も言われないほうが安心するらしい。今に至るもSOS団の宇宙人と未来人が仲良く会話する光景は見たことがなく、というか長門が誰かと楽しげに喋っているシーンなんか未だにない。まあ、それはそれでいいんだと思う。いきなり長門が饒舌になってもビビっちまうし、ハルヒ並みの「お前口さえ開かなけりゃあな……」なんていう女になってしまうのも少々惜しい。
黙ってて問題のない奴は、やっぱり黙っていたほうがいのさ。
そうやって碁を打ちながらのんびり茶をすすっていると、この世にはびこる悪の存在を忘れそうになってくる。しかし、そんな小市民的平和は長く続かず、厄介ごとはまるで忘却されるのを恐れるがごとく周期的に訪問してくるのだった。
ノックの音がした。俺は顔を上げ、傷だらけで安っぽい扉を眺めてから心の準備を開始する。何故かって? 部室内で漫然と過ごしているメンツはハルヒを除く四人の団員たちである。そしてハルヒはノックをするなどという殊勝な行為から最もかけ離れた位置で高笑いしているようなヤツだ。つまりこのノックの主はハルヒではなくSOS団の誰でもないのだから、それ以外の第三者だということになる。誰かは知らないが、どうせ何らかのやっかいごとを提供するためにここを訪問して来たに違いないという推理がたちどころに成り立つではないか。いつぞやの喜緑さんみたいにさ。
「はぁい、ただいま」
上履きを鳴らしながら朝比奈さんが応対に向かう。すっかりこなれてきた動作であり、メイドであることに自分でも何ら疑問を覚えていないようであった。いいこと……なんだろうか。
「あっ?」
扉を開いた朝比奈さんは意外な人物を見たようだ。軽く目を見開いて、
「どうぞ……。お、お入りになります?」
朝比奈さんは二歩ほど後ずさって、何故か両手で胸を隠すような仕草をする。
「いや、ここでいい」
と、訪問者がやや緊張気味の声で返し、開いたドアから首だけを伸ばして室内をあらためるようにうかがった。
「団長さんは不在か……」
押し隠す安堵が色濃く滲み出る声を出したのは、なんとなく馴染みになりつつある隣室の主、コンピュータ研の部長であった。
誰も動かないのでまたしても俺が窓口になることになる。朝比奈さんは棒立ちだし、古泉は微笑んだまま上級生を見つめているだけ、長門は本しか見ていない。
「なんでしょうかね」
いちおう上級生だ。敬語まじりで話してやるのが筋だろう。俺は立ち上がり、朝比奈さんをかばうようにして前に出た。ん? 部室の敷居を跨ごうとしないコンピュータ研の部長、その後ろに数名の男子生徒たちが先祖代々成仏に失敗した背後霊のように群がっている。どうした、討ち入りの季節にはまだ早いぞ。
部長氏は進み出てきたのが俺だったことにホッとしたのか、薄ら笑いを浮かべる余裕が出てきたようで、いくぶん背筋を反らしつつ、
「まず、これを受け取って欲しい」
何のつもりか、一枚のCDケースを差し出してきた。受け取るも何も、コンピュータ研が俺たちに善意からなるプレゼントをくれるはずはないから、俺は当然のように疑いの眼差し。
「いや、決して物騒なものではない」と部長。「中に入っているのはゲームソフトだ。僕たちのところが開発した、オリジナルのものだよ。この前の文化祭で発表してたんだけど、見なかったのかな」
悪いがそんなヒマはなかったね。文化祭で俺がいつまでも覚えていたい記憶は、軽音楽部のバンド演奏と朝比奈さんの焼きそば喫茶用衣装くらいのものだ。
「そうか……」
部長は気を悪くしたわけでもないようだが肩を落とし気味にして、「展示場所が悪かったかな……」と呟いた。用件が世間話ならさっさと終わらせて帰ったほうがいいぞ。こんな所にハルヒが現れたら、どんな揉め事に発展するか解ったもんじゃない。
「もちろん用件があって来たんだ。でも、まあ手短にしたほうがいいような気もする。では、言うぞ!」
部長が何やら汗ばみながら言う姿に、背後霊集団も毅然とした表情でうなずいた。とっとと終わらせて欲しい。
「ゲームで勝負しろ!」
部長は裏返った声で叫び、再びCDケースを突きつけた。
何でまたコンピュータ研と俺たちがそんなもんで対戦しなくてはならないんだ? 遊び相手に不自由しているんなら、もっと別の部室に行ったほうがいいと老婆心ながら申し添えたいところだ。
「遊びじゃない」
部長氏は徹底抗戦するつもりのようで、
「これは勝負だ。賭けるものだってちゃんとあるぞ」
ならば古泉を差し出そう。コンピュータ研の部室で心ゆくまで勝負してくれたらいい。
「そうじゃなくて、キミたちと勝負したいんだよ!」
頼むから、そう勝負勝負と言わないでくれ。ハルヒの地獄耳がどこで聞いているか解らない。万一、あの根拠不明の自信家がその単語を聞きつけたら----、
「うりゃあ!」
「げふをっ」
奇怪なセリフを吐きつつ、部長の姿が誰かに蹴飛ばされたように真横にすっ飛んで視界から消えた。
「わ!?」「部長!」「大丈夫ですか!」
数秒ほど遅れて、部員たちが口々に叫びながら廊下に横たわる部長氏に取りすがり、俺は緩やかに視線を横向ける。
「あんたたち、何者?」
爛々と光る瞳をコンピュータ研の部員たちに向け、いい形をした唇を大いに笑わせているその女こそ、涼宮ハルヒに違いない。
部長氏に闇討ち同然のドロップキックをかまし、自分はあざやかな着地を決めておいての勝ち誇った顔である。
ハルヒは耳にかかった髪を見せつけるかのように払いのけ、
「悪の集団がついに来たのね。あたしのSOS団を邪魔に思う秘密組織か何かでしょう。そうはいかないわよ。暗い闇を照らして邪悪を根絶やしにするのが正義の味方の使命なんだからね! ザコはザコらしくワンショットで消えなさい!」
転倒の拍子に頭を打ったらしい部長氏は、「ううう」とか呻いて配下の部員たちに介抱されつつ心配させている。ハルヒの口上を聞いていたのは、どうやら俺一人のようだ。
「なあ、ハルヒ」
高校入学以来もう何度目か解らないが、言い聞かせるような声で語りかける。
「蹴りを入れるのは話を聞いてからでもよかったんじゃないか? おかげで、見ろ。俺も彼らもどうしていいか解らんじゃないか。ゲームで勝負----、までしか俺は聞いていないぞ」
「キョン、勝負事なんていうのはね、言い出したその時から勝負なの。宣言イコール宣戦布告なわけ。敗者が何を言おうとそれはイイワケよ、勝たないと誰も聞く耳持たないわ」
ハルヒは仕留めた獣の検分をする狩人のように部長氏に歩み寄り、失礼にも失望の声を上げた。
「なによ。お隣さんじゃん。どうしてこんな奴らがあたしにケンカ売りに来たわけ?」
だから今まさにそれを説明してもらうところだったんだよ。機会を与えず横合いから不意をついたのはお前だ。
「だってさ」とハルヒは唇を尖らせて、「てっきり生徒会が部室の明け渡し請求に押しかけたのかと思っちゃったのよ。そろそろ来る頃合いかなあって計算してたのに。まったく、ややこしいことしないでよね」
「だとしてもキックしていいことはないだろ」
俺がハルヒを諌めようとしていると、
「そう言えばそのイベントがまだでしたね……」
いつの間にか戸口に立っていた古泉がひょっこり廊下に登場し、考え込むような顔をしやがったのでその爪先を踏んづける。余計なことを口走るんじゃない。
「うう……卑怯なり、SOS団……」
呻き声を漏らしながら部長氏はようやく立ち上がった。脇から部員たちに支えられて、
「と、とにかくっっ、勝負はしてもらう。どうせ言葉は通じないだろうと思って、文書を作成してきたんだ。これを読めば勝負の内容はよく解るだろう」
部員の一人がコピー用紙の束とCDケースを、野生のライオンに生肉を与えようとしているような手つきで持ち上げており、
「ご苦労様です」
にこやかに受け取ったのは古泉だった。
「それで、ゲームはいいのですが、説明書も付属しているのですか?」
別の部員はまた紙束を持って古泉に押しつけた。そして小声で、
「部長、用はすみました。部室に帰りましょう」
「うん、そうしよう」
弱々しくうなずき、
「では、そういうことで----」
用件を途中半端に告げ、そそくさ帰ろうとした部長氏の首根っこをハルヒの手によってむんずと掴まれた。
「ちゃんと説明しなさいよ。文章でごまかそうったってそうはいかないんだからね。このあったま悪いバカキョンにも解るようにセリフで解説するように!」
バカは誰のことだ。
哀れ、このようにして部長氏は文芸部室へと引きずりこまれることになった。残されたコンピュータ研部員たちが抗議の声を上げるヒマもなければ救助する手だてもなく、そして扉は閉ざされた。
文化祭というハレの時期を過ぎ、年がら年中ハレ真っ盛りのハルヒと違って、全校規模ではすっかりケとなる日常に回帰したと思っていたのだが、どうもコンピュータ研もハレな気分を持続させていたようだ。しかし現在パイプ椅子に座らされて単身オドオドしている部長氏の姿は、まるでダンジョンの最深部でパーティからはぐれたあげくリビングデッドの群れに取り囲まれたMPゼロ状態の白魔術師のそれであった。同じようにオドオドしている朝比奈さんが淹れたお茶にも手を付けず、ハルヒによって尋問を受けている。
簡単にまとめさせてもらおう。
部長氏の要望は以下の通りである。
1.コンピュータ研自作の対戦ゲームで勝負しようではないか。
2.我らが勝てば、現在SOS団の机に鎮座しているパソコンは、晴れて本来あった場所に帰還を果たすことになる。
3.だいたいだな、SOS団に多機能型パソコンは不釣合いである。コンピュータはコンピュータ研にあってしかるべき機材であり、強く返還を求める次第である。
4.パソコン強奪時に部長及び部員たちが負担した精神的苦痛は、この際だから忘れてもいい。いや、忘れたい。お互い忘れよう。
5.以上のような理由により、キミたちは我々と戦わねばならない。……戦え。
古泉から回ってきた紙束に、こんな感じのことが解りにくい上に読みにくい文体で細々と書いてあった。訴状と果たし状を兼ねているらしいが、丁寧に印字された文章も俺がざっと目を通すだけで、ハルヒは直に部長氏から聞き出していた。早い話が、
「使ってないんだったら、パソコン返せよ」
部長氏は言った。その言葉に対し、ハルヒは心外そうに答える。
「あたしは使ってるわよ。きちんとね。この前の映画もこれで編集したのよ」
やったのは俺だが。
「ホームページも作ってたし」
それも俺がやった。ハルヒがパソコン使ってしたことと言えば、暇つぶしのネット巡回と落書きみたいなシンボルマークを描いただけだろうが。
「そのホームページだって、半年経ってもインデックスしかないじゃないか。もう何ヶ月も更新の気配すらない」
部長氏はふくれ面である。なんとまあ、彼は定期的にあのしょぼいサイトを訪れてアクセスカウンタを回してくれる常連らしい。なるほど、カマドウマの時のアレはそのせいであったようだな。我々がパソコンを活用しているかどうかが、よほど気になっていると見える。
「でもあたしが頂戴って言った時、あげるって答えてたじゃないの。キョン、あんたも覚えてるでしょう」
そうだっけ。朝比奈さんがへたり込んでいるシーンはまざまざと脳裏に蘇るが、部長のコメントまで注意してなかったよ。仮に言ったのだとしても、あのときの部長氏は心神耗弱状態だったろうから取引は無効なんじゃないかな。
「断固、抗議する」
部長氏は本気らしい。腕を組んで口を結ぶその表情には精一杯の強がりが浮いている。半年経ってあきらめも付くと思いきや、だんだん怒りがぶり返してきたようだ。
ふーん、とハルヒは微笑みながらうなずいた。
「まあいいわ。そんなに勝負したいんならしてあげようじゃないの。こっちが賭けるのはパソコンね。それで、そっちは何を賭けるの?」
「何って、そのパソコンだよ。僕たちが負けたら、それはキミたちの物にしておいて構わない」
ハルヒは平然と言い放った。
「これはとっくにあたしたちの物になってるわよ。元からある物をもらったってあんまり嬉しくないわ。別のものを持ってきなさい」
不覚にも。この言いぐさには俺は感動すら覚えた。何であろうといったん手にした物の所有権は自分に帰属するらしい。将来、泥棒にでもなるつもりだろうか。
しかし部長氏は怒り出すどころか、引きつったような笑いを作り、
「解ったよ。君たちが勝てば、新たに……そうだな、パソコンを人数分、四台進呈しよう。ノートタイプのやつでいいかな?」
自ら賭け金を釣り上げることを言い出した。これにはハルヒも虚を衝かれたようで、
「え、いいの?」
座っていた団長机からぴょんと飛び降り、部長氏の顔を覗き込んだ。
「ホントね? 途中でやっぱやめ、なんて言うのは許さないわよ」
「言わない。約束する。血判状でも持ってくるがいい」
あくまで強気の部長氏であり、俺はなるほどと思う。
さっきから長門がつまんで凝視しているCDの中身がどんなゲームなのかはまだ知らないが、制作側だけあってとことんやり尽くしているのだろう。コンピュータ研がハイアビリティなゲーマー揃いかどうかは置いといて、素人のSOS団のメンツなど一蹴できると考えているに違いない。俺もそう思う。まともにやり合いさえすれば、何の勝負でも俺たちが勝利するとは考えにくい。前の野球で勝った時は長門のあり得ざる秘力の賜物で、我々の実力ではないのだ。
だがそれを解っていない奴が一人いた。
「あんたんとこ、女子部員がいないでしょ?」
ハルヒが不思議なことを言い始めた。
「いないけど、それで?」と部長氏。
「欲しい? 女の部員」
「……いーや、別に」
精一杯の虚勢を張る部長氏だった。ハルヒは悪い置屋の女主人みたいな笑みで口元をニマニマさせて、
「もしあんたたちが勝ったら、この娘をコンピュータ研に進呈するわ」
と、指差したのは長門の顔だ。
「女の子欲しいんでしょう? 有希ならきっと即戦力になるわよ。物覚えはよさそうだし、この中で一番素直だしね」
このアホウ、何を提案しやがるんだ。相手がパソコン四つを賭けているのに、こっちが一台では不釣り合いだと考えているのか。だがパソコン四台と長門ではスペックに開きがありすぎるぞ。お前は知らないかもしれないが。
「…………」
景品扱いされているのに、長門は平気な平左をしている。あまり動かない目が一瞬俺をかすめ、ハルヒを通り越してコンピュータ研部長の顔をじっと見つめた。
部長氏は明らかに動揺の表情でたじろぎながら、
「いやぁ……でも……」
「なに? みくるちゃんのほうがいいって言うの? それともパソコン四台では不釣り合い? んじゃ、副賞としてウチが勝ったらあんたんとこの部を『北高SOS団第二支部』に改名しなさい」
「あ……ええと……その、」
ハルヒの言葉に朝比奈さんが口元を押さえて立ちすくみ、
「お前が賞品になれ」
俺は憤然とハルヒに立ち向かった。
「いつまでも長門や朝比奈さんを備品扱いしてるんじゃねえぞ。賭けるなら自分の身体を賭けたらいいじゃねえか。勝手なこと抜かすな」
「何言ってんのよ。神聖にして不可侵の象徴たる存在、それがSOS団団長なの。もはや団そのものと言っても決して虚言ではないわ。あたしは『これだっ!』って思う人以外にこの職を譲るつもりはないわよ」
お前は卒業後もここに居座るつもりか。
「それにね、誰であろうとも自分自身と等価交換できるモノなんか、この世のどこを探しても見つかったりはしないよの」
ハルヒは理不尽な物言いであっさり俺の攻撃をかわし、無言の長門と言葉を消失した朝比奈さんを交互に指さして、なおも部長氏に迫った。
「で、どっちがいいわけ?」
そして俺を横目で見ながら言い足した。
「どうしてもって言うんだったら、まあ、あたしでもいいけどさ」
さすがに部長氏はハルヒの戯言に乗ることはなかった。注意深く目線を追っていた俺の観察結果によると、どうも長門のあたりでしばしの逡巡があったようだが、解るような気もするね。
彼は朝比奈さんの胸をわしづかみにするという磔刑に値する前科を背負っており、その犯罪行為の相手を指名する度胸はないのだろう。それに谷口によると長門はけっこうな隠れ人気者であるらしいので、彼の趣味が無口系読書少女に合致していた可能性もある。朝比奈さんでは気後れしすぎるからというのが理由の一つであるかもしれないが、だからと言って露骨に「女子部員が欲しい」などと表明しないだけの慎みも彼は持ち合わせていたようで、まあまあ当たり前の結果だ。
ああ、ハルヒ? すっかり性格の知れ渡った今や、こいつを指名するような男は真性のマゾかよほどの変わり者なのさ。でもってハルヒ以上に変わってもいないと思われる。だから俺も安心して放っておけるというものだ。
かくして、戦いの舞台が整えられた。
いったん文芸部室から出て行った部長氏は、手勢を引き連れて戻ってきた。彼らの手の内にあるのはノート型パソコンで見間違えようもない。賞品の前払いとは気前がいいと思っていたら、このゲームには一チームにつき五台のパソコンが必要なのだという。コンピュータ研なのか電気配線業者なのか解らないような機敏さで、連中はハルヒ御用達デスクトップと四つのノートパソコンをLAN接続し、次々と自家製ゲームソフトをインストールしていった。その会話の端々から、試合内容は五対五でやるオンライン宇宙戦闘シミュレーションだということが解った。ようするにSOS団側の五台、コンピュータ研側でも五台のパソコンを用意、その全部を一つのサーバにくっつけて対戦するようだ。俺たちは俺たちの部室で、彼らは彼らの部室のパソコンを使って。
もちろんサーバとなるコンピュータは彼らの部室にあるわけだ。ふむ。なるほどね。
「練習期間は一週間もあればいいだろう」
部長は部員たちの器用な動きを得意げに眺めながら、
「一週間後の午後四時にスタートだ。それまでに腕を磨いておくことだね。あまりに弱いと拍子抜けするからな」
勝った気でいるようだったが、それはハルヒも同じ事だ。新しい備品が増えて笑いが止まらないような顔をしている。
「うん、サブノートが欲しいと思い始めていたのよね。やっぱパソコンは団員の数だけあるべきだわ。設備投資は働くもののモチベーションを上げるためにも重要なことよ」
ノートパソコンで懐柔されちまうほど俺のモチベーションは安っぽくないぜ。くれると言うならもちろんもらうけどな。
俺はすっかり冷めてしまったお茶を飲み、さりげなく長門の表情を垣間見た。朝比奈さんと壁際に並んでコンピュータ研部員たちの作業を見守っている無表情な顔には何も変化が感じられない。いつもの落ち着きようだった。
奴ら作製のゲームだ。まさかとは思うが、怪しいウイルスが仕込まれていないとも限らない。もしそうなら長門も黙ってはいないだろう。その辺のことは任せておいていいな。コンピュータ研がどんな裏技を使おうと、長門の裏をかくのはそう簡単なことじゃないんだぜ。
飲み干した湯飲みを弄んでいると、朝比奈さんがささっと近寄ってきた。
「キョンくん、これ……何をすることになるの? あたしはあまり、その、き、機械には疎いんですけど……」
困惑の顔でどんどん増えつつあるコード類に目を落としている。そこまで困り果てることはありませんよ。
「ゲームですから、適当に遊んでおけばいいんですよ」
そう言って慰めた。実のところ、それは俺の本心である。もし本当に長門や朝比奈さんを賭けての勝負なら俺も本気の力を見せるに一片の躊躇もないが、ハルヒがパクったパソコンを返す返さないの問題なら話も別さ。コンピュータ研の出してきた条件は、俺にとってノーリスハイリターン。それだけのハンデと自信の差が俺たちと彼らの間にあるってことでもあるな。
「負けてもともと、勝ったらバンザイの世界ですよ。今度ばかりは、ハルヒにも四の五の言わせたりはしません」
はっきりと俺は言い切り、朝比奈さんの不安を一掃してあげるために笑いかけてもみた。
「でもぅ、涼宮さんが……。とても張り切っているみたいですけど」
説明書らしきコピー紙を手にした古泉を横にはべらせ、コンピュータ研の撤収を待たずにハルヒは早くも団長机に着いてマウスを握りしめていた。
なぜか満足げな顔で部長氏以下、隣の部員たちは誇らしげに出て行った。さぞ腕の振るいがいがあったと見える。
その後、しばらくそれぞれのパソコンで動作確認などをしていたが、そろそろ陽も暮れるということで今日はお開きとなった。
その帰り道、五人で集団下校しているときの俺と古泉の会話である。坂道を下る女三人組と数メートルの距離を置き、話しかけたのは俺のほうだった。
「ここいらで封印したほうがいいんじゃないかと思うセリフがあるんだ」
「ほう。何でしょうか」
「当ててみろ」
古泉はほのかに苦笑を唇にたたえつつ、考え込むふりをしたのも一瞬で
「僕があなたの立場だったとして、濫用を避けたいと思えるセリフはいくつもありませんね。候補としては無言での『……』か、『いい加減にしろ』なども有力ですが、やはりこれしかないのではありませんか?」
俺が黙っていると、古泉はたゆまぬ微笑とともに解答を発した。
「やれやれ」
サービスのつもりか肩をすくめて両手をあげるジェスチャー付だ。古泉はヒラヒラと手を動かしながら、
「あなたの気分もよく解りますよ」
解ってたまるか。
「いえいえ。できる限りマンネリな心境に陥るのは回避したいという思いが働いているのでしょう? 同じリアクションばかりしていては、他人はどうか知らないとしてもあなた自身に飽きが来る。何度も繰り返しプレイしてとっくに味わい尽くしたゲームをもう一度やり直そうという気にならないのと同じです。あなたは飽きることを恐れているのですよ。涼宮さんと同じようにね。違うのは彼女はどうしても自らの行動を主体として考えているのですが、あなたはそんな彼女の行動を受けて初めて反応を考えなければならない点です。さあ、これはいったいどちらの立場が楽なのでしょうね」
何を分析医みたいなことを言ってやがる。俺の精神状態をとってつけたような理屈で補完しようとするんじゃねえぞ。だいたいそんなことを言い出せば、言っているお前はどうなのさ。古泉だってハルヒの行動にひたすら受身をとっているだけじゃないか。
「僕たちは僕たちで、主体性を持ってここにこうしているのですよ。お忘れですか? 僕や長門さん、朝比奈さんは主義主張こそ違え、ほぼ同一の目的でここにこうしているのです。言うまでもなく、涼宮さんの監視という最重要な課題を持ってね」
そういうわけでただ一人何の目的もなくSOS団に引きずり込まれた俺だけが、ワケもわからず右往左往するハメになっているという様相を呈している。まったく、誰の魂胆なんだ。
「僕が知るわけはないでしょう」
古泉は楽しげに俺と目を合わせていた。
「観察対象という身分で言えば、涼宮さんだけではなく、今はあなたもそうなのですから。これからあなたと涼宮さんが何をやってくれるのか、戦々恐々としながらも、僕はなんとなく豊かな心を育ませてもらっています。これは感謝しておいてもいいでしょうね。いや冗談は抜きでね、有り難いことだと思いますよ」
他人事なれば、そりゃ見てても楽しいだろうさ。
文化祭を機に正気を取り戻したのか、季節を表現する山からの風もなんとなく冷たい秋の風味を伴っていた。俺が好きになれない季節である。これから寒くなる一方かと思うと、ハルヒの暴虐のほうがいくらかマシに思えてくる。
すでに暗い道を歩くその前方で、一人で喋っているハルヒと時折相づちを打つ朝比奈さん、登下校時は歩く以外の機能を持たないような長門が一塊になっている。長門の鞄がふくれているのは、あてがわれたノートパソコンが入っているからだ。そんな物を持って帰ってどうするのかという俺の問いに、長門はゲームCDを鞄の底に滑り落としながら「解析する」と答えてくれた。その影法師を見ているうちに言うべきことを思い出す。
「ところで古泉。俺から提案が一つばかしあるんだが」
「それは珍しい。拝聴いたしましょう」
念のために声を潜めて言うことにする。
「今度のコンピュータ研とのゲーム勝負のことだけどな、とりあえずインチキをするのはやめておこう」
「インチキとは何を指しての言葉でしょうか」
古泉も小声で聞き返す。
「野球の時に長門が使ったようなアレのことだ」
忘れたとは言わせないぞ。
「最初にお前に言っておく。仮にお前がシミュレーションゲームを有利に進めるような超能力があったとしても使うんじゃない。超能力じゃなくてもいい、どんな手段でも、ルールに外れるようなギミックを使うことは俺が許さん」
古泉は微笑みながらも探るような視線を俺に向け、
「それはまた、どういう思惑があなたにあるからですか? 我々が負けてしまってもいいと、そうおっしゃるのでしょうか」
「そうさ」
俺は認めた。
「今回ばかりは宇宙的あるいは未来的、または超能力的なイカサマ技は封印だ。まっとうに戦って、まっとうな結末を迎える。それが最適な手段だろう」
「理由を問いたいですね」
「負けても失うものは盗品のパソコンだけだ。それも元の持ち主のところに帰るだけだからな。俺たちは別に困らん」
帰す前に朝比奈画像集をどこかに移す必要はあるだろうが。
「僕がお聞きしたいのはパソコンの是非についてではありませんよ」
古泉は面白そうな口調で、
「あなたもご存じのように、涼宮さんは何かに負けることが好きではないのです。どうにもならない、これは負けそうだ、と感じると閉鎖空間を生み出して人知れず大暴れさせてしまうほどにね。それでもいいと思うのですか?」
「かまやしないね」
俺はハルヒの後ろ姿を眺めていた。
「いくらあいつでも、そろそろ学んでもいい頃だ。そうそう何もかも思い通りになってたまるか。ましてや今回はハルヒが言い出したことじゃねーし、それほどの意気込みがあるわけでもないだろう」
超常能力封印を明日にでも長門に伝えないとな。朝比奈さんにも言っておくか。自ら機械オンチを告白してきた彼女に格別な能力やアイテムがあるとは想定しにくいが、ま、これも念のためだ。
古泉が小さく笑い声を漏らした。何のつもりだ、気色悪い。
「いえ、おかしかったからではありません。羨ましくなったものですから」
俺のどこに羨望を感じたと言うんだ。
「あなたと涼宮さんの間にある、見えざる信頼関係に対してですよ」
何のことやら、さっぱりだね。
「しらばっくれるつもりですか。いえ、あなたにも解っていないかもしれませんね。涼宮さんはあなたを信頼し、あなたもまた彼女を信頼しているということですよ」
勝手に俺の信頼先を決めるな。
「一週間後のゲーム勝負に負けたとします。しかし、そこで涼宮さんが閉鎖空間を生み出したりはしないだろうとあなたは思っている。そのように信頼しているからです。また、涼宮さんはあなたならゲームを勝利に導くだろうと信じている。これも信頼です。彼女が団員の身柄を賭けようかと言い出したのは、負けるはずがないと確信しているからですよ。決して言葉に出したりはしませんが、あなたがた二人は理想形と言ってもいいくらいの信頼感で結びついているんです」
俺は沈黙の井戸に潜り込んだ。返す言葉がなかなか思いつかないのはなぜだろう。古泉の推測が俺の心の的に高得点で突き立ったからか? 信頼云々は専門家に任せるとして、確かに俺はハルヒが精神世界で暴走を繰り広げるとは思っていない。それはこの半年間を振り返ってみればいいことだ。SOS団設立から映画撮影まで、色んなことがあって様々なことが俺たちの前を通り過ぎた。俺自身それなりに成長したつもりだし、ほぼ同様の経験をしているハルヒだってそうだろう。でなけりゃあいつはぶっちぎりの本当のアホだ。取り返しようがないほどの。
「試してみる価値はある」
ようやく俺は言葉を紡ぎ上げた。
「コンピュータ研とのゲーム対戦で負けて、それでハルヒがけったくそ悪い灰色世界を生み出すようなことがあれば、今度こそお前たちの事情なんか知ったことか。ハルヒと一緒に世界をこねくり回してろ」
古泉は微笑みだけを浮かべていた。そしてさも当然のようにこう言った。
「それが信頼感というやつですよ。僕が羨ましくなる理由が解りましたか?」
俺は答えず、ただ歩くことだけに集中した。古泉はなおも何かを言いたげな顔をしていたが、聞く耳を持たない俺の様子を感じ取ったのか、とうとう何も言わなかった。
まあいい。古泉が思わせぶりな顔をするのには慣れっこだ。朝比奈さんが部室でメイドの格好をしていたり、ハルヒがいつだって裏付けのない自信に満ち溢れているのと同じくらい普通のことである。
長門がいるのかいないのか解らない希薄な存在感しか持たないのと同様……とも表現したいところだったのだが----。
一週間後の対コンピュータ研戦の場で、俺は思わぬ光景を目にすることになった。
そんなこんなで翌日の放課後から、隣室の連中を仮想敵とした俺たちの特訓が始まった。特訓といってもゲームに興じるだけなのだが、そのコンピュータ研作製によるオリジナルゲームを取り急ぎ概略だけでも紹介しておくべきだろう。
というのがゲームタイトルである。なんとかイイ感じにキメようとしてかえって意味不明になってる感が否めないが、問題視すべきなのは中身なので気にしないことにする。それを言い出せばSOS団なんていうグループ名の下にいる俺たちの立場がなくなってしまうしな。名称と活動内容の無意味さ及び無関係さにかけては、視点をグローバルに広げたところでこの団を下回るものが幾つもあるとは思えない。しかし3ってことは1と2もあったのか。
それはともかく、まず
時はいつの時代かわからん。途方もなく未来であることは確かなようだ。人類は外宇宙へと飛び出し、そこそこの版図を築き上げている。そんな宇宙的スケールでの、とある恒星系での領地争いであるようだった。そこには二つの星間国家が樹立しており、互いに国境線の位置取りに関して果ても見えない闘争を繰り広げている。便宜的に片方を <コンピ研連合> 、もう一方を <SOS帝国> と並び称することにしよう。おのおのの国家は戦場が宇宙空間であるゆえに宇宙軍艦隊を常備しており、風雲急を告げる事態となると惜しげもなく持てるばかりの戦力を前線に投入し、相手を殲滅するまで無益な戦争をエンドタイトルまで繰り広げるという筋書きになっている。そこには外交や謀略といった純粋な戦闘行為を妨げる余計なコマンドなど存在しない。ただ撃滅あるのみなのだ。ハルヒ好みかもな。
スタート時点では画面はほぼ真っ暗である。モニタの下部で青く輝いているのが我々の操作する艦隊ユニットだ。底辺が短めの二等辺三角形の形をしており、それが合計五つ、横に並んでいるのが解る。これこそハルヒが全軍を統括する <SOS帝国> 軍の戦力のすべてだ。一ユニットあたりに宇宙戦艦が一万五千隻ほど内包されているから総数七万五千、それプラス各艦隊に少数くっついている補給艦部隊。それらの戦艦を操って、同数の敵 <コンピ研連合> の艦隊を撃破すれば勝利条件クリアだが、今回のルールではお互いの大将艦隊、我々なら <ハルヒ☆閣下☆艦隊> の旗艦、相手は部長氏艦隊の旗艦を撃破されたら全軍のダメージや撃沈数いかんに関わらずその時点で負けとなる。
艦隊は一人につき一個艦隊が与えられ、自分のパソコンからは自分の艦隊ユニットしか操作できない。いくらハルヒが独走しようとも、俺の使っているノートパソコンからはどうしようもないというわけだ。
妙なこだわりを感じさせるのは、徹底的に索敵しないと敵の位置はおろかこの宙域にどんな障害物が浮いているのかも解らないってところである。とにかく艦隊を移動させようとしたら、その方向に何がいてどんな物体が転がっているか、まず索敵艇を派遣して走査しなければならず、さらにその索敵艇が戻ってきて初めてその範囲の状況が解るというまわりくどさ。
艦隊そのものの視界は半径にして数センチ(画面上の距離で)しかないため、索敵行動をおろそかにして直進していると思わぬ角度から敵の攻撃を喰らったりして、しかもその敵の位置も解らないといういただけないことに成り果てるのだ。
ただ、味方の艦隊同士はデータリンクで結ばれており(という設定らしい)、たとえば長門の艦隊の視界や索敵艇が持ち帰った情報はそのまま我々全員のものとして共有することができる。俺が何をしなくても真っ黒な画面の中でその範囲だけは明るく表示され、惑星やアステロイドベルト、索敵した時点での敵艦の位置が解るといった仕組みである。
それでも全体マップはやたらにだだっ広く、よって、すみやかな敵の位置特定と行動予測が明暗を分けそうだ。
使用できる武器は二種類、ビームとミサイルのみである。敵が射程内にさえいればビームは発射したその瞬間に命中し、ミサイルのほうはノロノロ飛んでいく代わりにホーミング機能を付けることができる。向かってくるミサイルが誘導モードに設定されていると避けようがないのでいちいち撃墜しなければならない。
大まかに言ってそんな感じの、宇宙を舞台にした2D艦隊シミュレーションゲームである。ちなみにターン制ではなくリアルタイム制で行われるから、悠長に星系を探索しているとたちどころに敵側から袋だたきにされる。このあたりも変にシビアであった。
来るべき試合に向け、さっそく我々はゲーム週間に入った。ハルヒだけは机でデスクトップ、それ以外の四人は長テーブルに並んで着いてノートパソコンを見つめながらマウスをカチカチやっているという、なかなかシュールな光景がここしばらくのSOS団的活動内容になっている。練習は対戦モードでなくCPU戦だが、難易度をベリーイージーにしても一勝をあげるまで三日かかったというのだから、こちら側のゲームスキルランクはほとんどマントル層の下を手動ドリルで這っているレベルだ。
「あーっ! またやられたっ! キョン、なんか腹立つわよ、このゲーム」
CPU相手にこの成績じゃあな。ハルヒでなくても頭に来るだろうが、別にゲームバランスが狂っているわけではなくて、お前の旗艦が前方不如意のまま突進して相手の集中砲火を一方的に受けているからだ。
「戦術を変えないといけないってのもあるが」
俺はゲームオーバーをもの悲しげなBGMとともに告げている液晶モニタから目を離した。
「艦隊のパラメータをいじり直したほうがいいかな。特にお前の旗艦艦隊をだ」
ここの艦隊ユニットにおける戦力振り分けパラメータは三つあった。『速度』『防御』『攻撃』である。プレイヤーは最初にポイントを100与えられ、それを三つのパラメータに分配するのが初期設定画面だ。『速度・30』『防御・40』『攻撃・30』といった感じだな。これをハルヒは『速度・50』『防御・0』『攻撃・50』でプレイしてるんだから、奴の旗艦装甲はダンボール製も同然だ。宇宙をなめるなと言いたい。とにかく素早く動いて敵艦を叩きのめすことしか考えていないらしく、俺や古泉がどうこうする前に旗艦が沈んでいれば、これじゃ世話を焼くヒマもねえよ。
「もうっ! めんどいったらないわね。こんなの作って何が楽しいのかしら。あたしはもっと解りやすいのが好きなのにっ」
不平たらたらだが、ハルヒはそれでも飽きずにリプレイを始めた。俺のノートパソコン画面に
ハルヒは楽しそうにマウスをクリックしながら、
「RPGにすればよかったのにさ。あいつらが魔王とか邪神役で、あたしが勇者。オープニング直後にラスボス戦が始まるやつがいいわ。いつも思うのよ、ダンジョンの奥でぼんやり待ってるんじゃなくて最初から親玉が登場しちゃえばいいのに。あたしが魔王ならそうする。そしたら勇者たちも長ったらしい迷宮をうろうろしないですむし、簡単に話が終わるし」
むちゃくちゃを言うハルヒを無視し、俺は横にいるその他メンツを順番に見ていった。最もハルヒに近いところに座っているのが古泉幕僚総長、次が俺で、その隣に朝比奈さん、一番隅っこに長門がいる。
「これは難しいですね。まあ僕がこの手のゲームに不慣れなせいかもしれませんが。シンプルですがマニアックな操作性です」
適当な感想を述べている古泉は、オセロやってる時と同様ほがらかに微笑しており、必要もないのにメイド衣装を着込んだ朝比奈さんは、
「わわ、全然思い通りに動いてくれないんですけどぉ。でもどうして宇宙って設定なのに行動範囲が二次元限定になってるんですか?」
基本的な疑問を放ちつつ、慣れない手つきでマウスをカチカチ言わせている。
この二人はいいとしよう。残る一人こそが俺にとっての最大懸案項目だ。
「…………」
高度な数学的難問に立ち向かっている数理学者のような目つきでディスプレイを見つめている長門有希。最も早くこのゲームに順応したのはこいつであり、ハルヒの猪突猛進一直線戦法にもかかわらず唯一の勝利をもぎ取れたのは、彼女の的確な艦隊運用能力がたまたまウマいこと作用したからである。
もちろん釘を刺してある。魔術だか情報操作だかの超裏技は決して使わないように。昼休みにそう言っておいた。数秒間、俺の目をじっと見つめていた長門は、無言でこっくりとうなずいて同意を示し、俺の肩の荷物も少しだけ軽くなったものである。おかげで気兼ねなく対戦ゲームに挑める。仮にこれで俺たちが勝ってしまったとしてもそれは何かの間違いであり、間違ってしまったんだから仕方がない。うむ、責任回避のイイワケも準備万端だ。
あとはせいぜい善戦できるだけの戦術を練り直し、奮闘むなしく敗れ去るという演出を考えることにしよう。朝比奈画像フォルダをCDか何かに焼いておくのも忘れずに。
まつろわぬ秋の空にふさわしく一週間がめまぐるしく経過して、いよいよ開戦の時を迎えた。
ハルヒに率いられた俺たちは文芸部室で定位置につき、コンピュータ研は連中の部室で画面上のカウントダウンを眺めているという状況だ。
プレイ前のモニタが表示しているのはお互いの艦隊紹介一覧である。とは言え、解るのは名称とどこの隊に旗艦が配置されているかくらいで、パラメータや艦隊配置は隠されている。
コンピュータ研のユニットは旗艦部隊を筆頭に <ディエス・イラエ> <イクイノックス> <ルペルカリア> <ブラインドネス> <ムスペルヘイム> なるパーソナルネームが付いていた。
なにやらこしゃくなネーミングセンスであり、何をがんばっているのかは知らんが間違ったがんばりかたのように思えてならない。そんな彼らの考え出した愛称の由来を、さして知りたくもないのは俺だけではなかったようで、
「めんどくさいから左から順番に敵A・B・C・D・Eでいいわ。旗艦部隊がAね」
ハルヒはあっさり敵艦隊のコードネームを変更し、そのまま連中の独りよがりな呼称は忘れ去る構えである。どうせなら俺が指揮することになる <キョン艦隊> のことも忘れて欲しいが。
「そろそろね。みんな、いい? 勝ち馬に乗っていくわよ。これは始まりにすぎないの。敵はコンピ研だけじゃないわ。あらゆる邪魔者たちを蹴散らして、SOS団は宇宙の彼方までその名を轟かせなきゃダメなの。そのうち教育委員会に掛け合ってすべての公立校にSOS団支部を作るつもりよ。野望は広く持たないと」
ハルヒの誇大妄想狂みたいな檄をどう感じたか、古泉は親指で緩んだ唇をはじき、朝比奈さんはメイド衣装の袖を引っ張り、俺は深呼吸のふりをしてため息をつき、長門はぴくりと眉毛を動かした。
「まあ、あたしたちが負けるわけはないけどね。勝って当然とは言え、手抜きは絶対に禁止! 途中半端な勝ち方は相手に悪いもん。叩きのめすのよ」
いつも思うのだが、この自信の原材料は何なのだろう。二ミリグラムでいいから俺にも分けて欲しいね。
「そう、ちょっぴり注入してあげようか?」
なんだか知らないがハルヒは突然俺をにらみ始めた。まじめな顔でこっちを見るなよ。俺の顔をそんなに注目したところで大吉のオミクジを吐き出したりはしないぞ。
そのまま十秒ほど経過したあたりで耐えられなくなった俺は目を逸らし、その途端、
「どう、少しは効いたでしょう」
ハルヒは勝ち誇った笑顔を作る。そのニラメッコにどんな効能があったと言うのか。
「エネルギーを視線に込めて送ってあげたじゃないの。身体がポカポカしてくるとか、発汗作用が促進されるとか、そんなのをあんたも感じたでしょう? そうね、今度から元気のない人を見かけるたびにこうしてあげようかしら」
頼むから人通りの多いところでガン飛ばしするのはやめてくれよな。ハルヒの元気エネルギー注入行為を因縁付けと勘違いして迫ってくる不良軍団から逃げる方法をシミュレートしていると、
「まもなくスタートですよ」
古泉の面白がっている声が届き、俺の視線はパソコン画面へと舞い戻る。一人だけ緊張感を漂わせる朝比奈さんが、とても不安そうな声で呟いた。
「……どうしよ。自信ないなあ」
そんな真剣にならなくてもゲームで死傷者は出ませんよ。出たとしてもそれは八つ当たりされたディスプレイくらいです。
敗北に怒ったハルヒがパソコンを窓から投げ捨てないことを一緒に祈りましょう。
十六時〇〇分。
開戦のファンファーレが鳴り響き、パソコンの所有権を争う戦いが幕を開けた。
当初、 <SOS帝国> 軍が予定していた作戦はこうである。
先鋒に <ユキ艦隊> 、その後ろに <古泉くん艦隊> と <キョン艦隊> を配置し、さらにその後ろから <みくる艦隊> と <ハルヒ☆閣下☆艦隊> がついてくる。
----以上であり、以下でもない。
索敵艇の派遣を「めんどい」の一言で却下したハルヒは敵艦隊をデストロイすることしか考えないため、実際に敵と遭遇するまで何の役にも立たないことは歴然としていた。
もっと何の役にも立たないであろう朝比奈さんには、各艦隊から引き抜いた補給艦をまとめてあてがっており、よって <みくる艦隊> を表すユニットは他よりも若干大きめの三角形を形成している。そのぶん動きも鈍重になっていて、俺が彼女に指示したのは「戦闘に巻き込まれそうになったら逃げてください」というまことに理路整然とした行動指針である。当然だろう。
ついでにハルヒ艦隊のパラメータは『速度・20』『防御・60』『攻撃・20』に設定してある。ようはこいつの部隊が壊滅したら即座に敗北なのだから、防御力重視になるのも仕方のない決断だ。戦争すんのは『33』『33』『34』という平均的な分配をなした長門、古泉、俺に任せて後方でじっとしていれば格好の時間稼ぎにもなっていいだろうと立案したわけだが、ちょっと目を離すと前に出たがる冒頭のシーン通りでもある。
そして今、最初にチラリと述べたようにコンピュータ研とSOS団のシミュレーションゲーム対決、いよいよ決戦の火蓋が切って落とされようとしているのだった。
「しょうがないわね。じゃ、あたしはしばらく引っ込んでるから、あんたたちで敵をコテンパンにしちゃいなさい。みくるちゃん、一緒にちょっと見物してましょ」
「あ、そ……そうですね」
俺の左隣で、朝比奈さんは従順にうなずき、小声を甘やかな吐息に取り混ぜながら、
「がんばってくださいね、キョンくん」
思わず百種類くらいのガンバリでもって応えたいくらいの声援をくれるのだった。旗艦部隊が <みくる艦隊> だったら喜んで弾避け係を仰せつかるところだが、あいにく守るべきは俺がもし封建時代の実力派諸侯だったらならイの一番に叛乱を起こすであろう横暴なる主君である。しかし残念ながらこのゲームに『反旗を翻す』というコマンドはないようだ。ないんだったらしょうがない。とにかく目前の敵を何とかするだけの話さ。
十六時十五分。
長門が猛然とキーボードを叩いている。目にもとまらぬスピードというのが比喩ではなくそこにあった。マウスなどという迂遠な物を使う気になれなかったらしいのだが、それだけではない。いつの間にやら長門は
こちらでまともに戦闘に参加しているのは <ユキ艦隊> <古泉くん艦隊> <キョン艦隊> の三個艦隊であり、敵側は姿を見せるつもりのなさそうな <ディエス・イラエ> (敵A)を除いた四個艦隊だ。過去の歴史をひもといて学べることが一つある。基本的に戦争は数で決まる。三対四では、ただでさえ劣勢が決定づけられている俺たちに勝利後のシャンパンファイトをする機会が訪れる確率は低く、かといってハルヒや朝比奈さんを引っ張り込むこともままならない。いともあっさりと全軍そろってなぶり殺しアワーをタイムサービスするのは確定的だろう。
「敵は鶴翼陣形で我々を誘い込むつもりのようですよ」
古泉幕僚総長が俺に囁きかけた。
「このまま追撃して行けば相手の形成した包囲網に自ら飛び込むようなものです。ここは一時停止して、専守防衛につとめるのが得策ではないかと」
そうは言ってもな、俺はいいけどハルヒがどう言うものだろうか。
それに、だ。
俺は朝比奈さんの頭越しに、情報参謀長門の横顔を盗み見た。
なぜだかは知らん。だが、奇妙なことに長門が意表をつくような積極性を見せている。開始早々のこのゲームでも見た目は普通通りの無表情だが、ディスプレイ上の <ユキ艦隊> は他のどのユニットよりも能動的に動き回って作戦行動に従事していた。いったい
解析する、という長門の言葉に嘘はなかった。いつもは無感動を擬人化したような宇宙的人造人間は、コンピュータ研作製のオリジナルゲームを隅から隅まで熟知するまでになっている。ひょっとしたら作った連中より詳しくなっているかもしれない。こいつにかかれば現代地球文明圏のパソコンなど産業革命以前の工場生産ライン並にオールドタイマーなのだろうし、赤子の手を捻るも同然とはこのことだ。
それにしても長門の目の輝きがツヤ消しブラックからシルバーメタリック処理くらいに変容しているのは、ちょっとばかり気がかりなんだが……。
かつてないやる気を見せ、長門はタイピングゲームよろしく目まぐるしい動きでキーをパンチし続けた。視線は一瞬たりとも固定されず、GUIの恩恵を放棄して画面隅に開いた小さなウインドウに、ひたすら指のつりそうなスピードでコマンドを打ち込んでいる。
「…………」
<ユキ艦隊> は機敏に位置を変えながらしきりと索敵艇を放ち、迫り来る敵艦隊の捕捉に全力を傾けていた。それでも現時点で判明している敵の居所は、我が帝国軍の前方にいる <敵B> と <敵C> の二個艦隊のみだ。長門はその二つの艦隊と互角に戦いながら一人で前線を支えている。こりゃ俺もぼやぼやできねえな。加勢しないと。
そう思って移動し始めた <キョン艦隊> の側面に、突如としてビームの雨が浴びせかけられた。
「なぬ?」と俺。
「おっと、と」と古泉。
見ると <古泉くん艦隊> も左舷方向から来る砲撃を浴びている。どこから現れやがったのか、いつの間にか接近していた <敵D> と <敵E> がそれぞれ左右から俺と古泉のユニットへ側面攻撃を仕掛けていた。たちまち <キョン艦隊> の保有艦数が目減りしていく。
「何やってんのよ!」
ハルヒが黄色メガホンで俺に叫んだ。
「ちゃっちゃと反撃しなさい! 返り討ちよ!」
言われんでもそうするさ。こいつら、長門の索敵網をくぐり抜けてここまで来るとはなかなかの手練れだが、こっちだってハイそうですかとやられるままにはなりはしないぜ。
俺は <キョン艦隊> に方向転換を命じ、全艦首を右舷へ九十度回頭させる。そして射程範囲内に敵艦を捕捉、いざ全力射撃----しようと思った瞬間に、 <敵E> もまた素早くUターンして深遠なる闇の中に消えてしまった。腹が立ったので追撃しようとアタリをつけて索敵艇を出してみたが、艦影を一つも捉えることができない。
「くそ、逃げやがった」
どうやら『速度』に特化した艦隊での一撃離脱作戦か。 <古泉くん艦隊> の右舷を襲っていた <敵D> もぴったしなタイミングで姿をくらませている。なるほど、 <ユキ艦隊> と小競り合いしている <B> <C> が囮で <D> <E> が主戦力なのか。そいで艦隊部隊 <敵A> は参加せずにどっかでどっしり構えているという、そういう算段らしいな。
「ひえ、こわいっ」
つたない動きながら、朝比奈さんは着実に自分の艦隊をどんどん画面の隅のほうへと追いやっていた。あまり遠くに行き過ぎると俺たちの艦隊は補給先を失ってそのうち武装ゼロとなってしまうが、このままではエネルギーやミサイルの在庫を気にするまでもなく勝敗が決しそうな気配だ。主導権はしょっぱなから <コンピ研連合> 側にある。
その後も、側面攻撃部隊である <敵D> と <敵E> は一回残り物をやったら味をしめて夕食時に必ず現れるようになった近所のノラ犬のようにフラリとやって来ては <キョン艦隊> と <古泉くん艦隊> にヒットアンドアウェイを敢行し、追いすがろうとするとホーミングミサイルを撃ちまくりながら遁走するという非常にイライラする戦法で俺たちを苦しめてくれた。一気に決着を付けるのは避け、じわじわとこちらの戦力を削っていく腹づもりだな。ハルヒの最も嫌がるパターンだぜ。
一方で、孤軍でもってじりじり前進を続ける <ユキ艦隊> は、何とか頭を押さえ込もうとする <敵B> と <敵C> の波状攻撃を巧みに受け流しながら効果的な反撃を試みたりしていて、もしこいつの艦隊がなければ俺たちは今頃宇宙空間を流れる星間物質の欠片になっていたかもしれない。負けても敢闘賞くらいならやってもいいんじゃないか。
「…………」
長門は呼吸をしていないような顔で両目をモニタに据え付け、キーボードの酷使を一時たりとも止めることがない。これにはコンピュータ研の連中も意外だったろう。俺ですら意外に思っているのだ。
ハルヒの負けず嫌いがいつの間に長門にまで伝染してしまったのか、とね。
十六時三十分。
事態はいよいよ膠着の泥沼にずっぽりとハマっているようだった。
先頭の <ユキ艦隊> が手強いと悟ったコンピュータ研は、 <敵B> 一部隊を対長門専門に残し、未だ行方の知れない旗艦艦隊 <敵A> を除いた三個艦隊が交互に俺たちの左右を攻めるという時間差波状攻撃を仕掛け始めていた。まったく感心することに <敵C> <D> <E> の連携は熟練の腕前だ。 <C> に対処しようとするとすかさず <D> が反対側から攻撃を加え、 <D> を追って進撃すれば <E> がさらに側面からビームを放つといった神出鬼没ぶり、なんかもう手加減を知らない上級者と対戦ゲームやったってちっとも楽しかねえという気分を満喫できる。少しは遠慮しろと言いたいが、パソコン数台がかかっているからそうもいかないか。
しかし、これはかなりよろしくない状況である。負けるつもりが九割を占めていたのは前述の通りだが、いくら負けるにしてももっとハデな展開を予測していたのだ。じゃんじゃん撃ち合ったあげく豪快な撃沈とか、負けたけどいい汗かいたし、まあいっか、お互いよく頑張ったよ----みたいなやつをだ。
しかるに何だ、このチマチマとした体力削り作戦は。
「もう我慢できないわ」
予想通りと言うか、ついにハルヒが麾下の旗艦艦隊に単純明快な指令を伝えた。
「全艦全速前進よ! キョン、そこ邪魔だからどいて! 敵の親玉を見つけ出して、タコ殴りにしてくるわ!」
<キョン艦隊> と <古泉くん艦隊> の間に割って入ろうとする <ハルヒ☆閣下☆艦隊> を、俺と古泉は小魚の群れ並に瞬時の連携で押し留めようとした。
「何すんのよ! 古泉くんまであたしの華麗な戦いを妨害するつもり? いいからどきなさい。幕僚総長を解任するわよ」
「それは困りますね」
と言いながらも、古泉は自分の艦隊をハルヒ艦隊の進路上から移動させようとはしない。
「閣下、ここは我々にお任せください。不肖この古泉、一命を賭けても閣下を最後の最後までお守りする所存です。僕の進退に関しましては、戦闘終了後に好きなようにしてください」
「そうだ」
俺も古泉の肩を持つ。
「少しでも勝率を上げたいのなら、お前はすっこんでろ。こっちはまだ敵の旗艦も発見できてねえんだぞ」
「だからあたしが発見してやるわよ。たぶんここらへんに----」と俺たちから見えないモニタの端っこを指差し、「----いると思うから、そこまで一直線に向かうの。それから偉い者同士、サシでドンパチしてやるわっ!」
どこ行く気かは知らんが、辿り着く前に <ハルヒ☆閣下☆艦隊> は冬眠前の熊に襲われたミツバチの巣のようになるんじゃなかろうか。
ハルヒは下からぐいぐいと艦隊を突き上げつつ、マウスを握った拳も突き上げていた。
「だからってじっとしてても同じことでしょ。さっきから見てたら何よ。この <キョン艦隊> 、敵に逃げられてばかりじゃないのよ。それにどんどん戦力も減らされてるしさ。やっぱあたしが出て行かないとダメね」
「だからやめろって」
俺は自艦隊を操って旗艦艦隊の進路を塞ぎにかかり、さりげなく古泉も反対側から同じ動き、そんなことは知ったことかと <コンピ研連合> の三艦隊は一撃離脱攻撃を延々と繰り返し、朝比奈さんの <みくる艦隊> はとうの昔に宇宙空間の迷子となっていた。
「どこですかぁ? ああん、なんだかどっちが右なのかも解らなくなってきましたよう」
右隣の朝比奈さんは、俺のノートパソコンと自分のモニタを代わる代わる見て、半分ベソをかいた表情で、
「みなさん、どこ行っちゃったんですかぁ」
いやもう、ごめんなさい。朝比奈さんにおかれましては、どこでも好きな所を好きなように彷徨っていてくださいとしか。
<ハルヒ☆閣下☆艦隊> がギリギリと <キョン艦隊> の尻に食いついてくるおかげで、俺まで身動きが取れなくなってきた。ハルヒの盾代わりになってるようなもんだから、ひきもきらない敵襲によって俺のユニットを示す三角形はどんどん小さくなっていく。
「どきなさい!」
どきたくても動けねえ。薄情者の <古泉くん艦隊> は、ハルヒに追突される前にちょこざいにも離脱しており、そ知らぬ顔で <敵D> と砲火を交えていた。ハルヒの足止め役を俺だけに押しつける気か。
「くそ」
俺は <ハルヒ☆閣下☆艦隊> と合体中の自軍戦力をなんとか自由にすべく、マウスの左ボタンを押しまくりながらポインタを適当な場所へと移動させる。 <キョン艦隊> のだいぶ収縮した三角形はナメクジの散歩みたいにのろのろと方向転換するが、いかんせんナメクジだ。その間も敵側からロックオンされた俺の艦隊にビームとミサイルがばんばん飛んでくる。
こりゃ、負けたな。
俺が白旗を揚げたくなったのも仕方がないと納得してもらいたい。こっちの大将がこんなんでは、万に一つの勝機がこっちに舞い降りようとしてたとしても心変わりして逃げ出すってもんさ。なんでもそうなんだが、やはりトップは冷静でないと組織は円滑に動かない。よく知らんけど、そんなもんじゃないのか?
俺とハルヒが現実でも電脳空間でもモメているこの時、SOS団内では大局的な視野の広さと冷静さを持ってゲームを進行させていたのは一人だけであった。
----と、思っていたのだが。
実はそうでもなかったらしいと俺が気づいたのは、テーブルの端にいる団員の指の動きがさらに加速して、ついには高感度カメラで撮影してからスロー再生しなければ見えないんじゃないかというレベルにまで到達してからだった。
イライラが高じるあまり爆発するのはハルヒの役目であり専売特許であるはずだ。だが今回、それは必ずしも正解とは言えないようである。
今この場で誰よりも激昂しているらしい人物、それは我がSOS団の誇る物知り情報参謀にして読書マニアの文芸部員----。
「…………」
長門有希だった。
十六時三十五分。
「うおう?」
信じがたい光景がモニタに忽然と登場し、俺はうっかりマヌケな声を上げてしまう。
「なんだこりゃ」
<SOS帝国> 全軍の索敵終了範囲が一気に三倍になっていた。出現と消失を繰り返していた敵 <C> <D> <E> の現在位置もばっちりだ。一つは左翼方向から古泉部隊へ向けて射線を微調整中で、一つは離脱直後の反転を今まさに終えようとしているところで、一つはもつれ合っている <キョン艦隊> と <ハルヒ☆閣下☆艦隊> 目がけて進軍中である。でもまあ、なぜ敵の動きがそこまで解るようになってしまったかと言うと……。
<ユキ艦隊> が二十個に分裂していた。
「これはこれは」
古泉の賞賛の声が俺には虚ろに聞こえる。
「さすがは長門さん。よくこんなことをする気になりましたね。僕も一時は考えたのですが、あまりに煩雑になるもんですから、立案時に放棄したんですよ」
「待てよ古泉」と俺。「こんなの、説明書に書いてあったのか?」
「ありましたよ。最後のほうにですが。やり方を教えましょうか。まずコントロールキーとF4キーを同時に押ししてからテンキーで分裂する艦隊の数を決定し----」
「いや、いい。俺はやる気がない」
もう一度、モニタをよく見てみる。
さっきまで <ユキ艦隊> だった三角ユニットが、不思議光線を当てられたみたいに縮小している。その代わりと言うと何だが、他に同じものが二十個もある。試しにそのうちの一つを選んでマウスポインタを当ててやると <ユキ艦隊12> と表示された。
分艦隊?
01から20までにナンバリングされたその小三角形たちは、あるものは今まで通り <敵B> 相手に砲撃戦を続行し、またあるものは敵艦の合間を縫ってまだ見ぬ宇宙へ飛び出し、他のあるものは左右に散開し、それからまた別のあるものは大きくターンして苦戦する <キョン艦隊> に加勢してくれるようだった。
古泉、説明しろ。
「ええとですね。一応ですが、艦隊ユニットを二つ以上に分け、個別に操作することができるようになっているのです。上限は確か二十でしたっけ。説明にそう書いてありました」
「何のメリットがあるんだ?」
「御覧のとおり索敵範囲が格段に向上します。それだけ目が増えるみたいなもんですからね。他にもありますよ。たとえば艦隊を二つに分けた場合ですと、一個を囮にしてもう片方を敵の背後に回らせるとかですね。でもデメリットのほうが大きいのでコンピュータ研側も作戦に取り入れてないようです」
古泉は俺に顔を近づけ、ハルヒには届かないような声を潜めて、
「複数の艦隊操作を一人でしなければならないわけですよ? 一つでも動かしている間は残りを動かすことができず、単なる木偶の坊になってしまいます。ましてや二十個もの分艦隊を同時操作するなど、人間技では不可能ですね」
隣の部屋で肝を抜かれているであろう面々の表情を想像しながら、俺は横へ視線を滑らせた。
「おい、長----」
黙々とキーボードを叩き続ける長門の両指が生み出すスタッカートは、どんなに耳を凝らしてもカタカタカタ……ではなく、ガガガガとしか聞こえないまでになっていた。
「あ、あの……。そんなに力入れると壊れるんじゃあ……」
おっかなびっくりと朝比奈さんが注進するが、長門は目もくれない。その目がどこを見ているかと辿れば、長門のパソコンが映しているのはゲーム画面ではなく、黒い背景に白い英数字及び記号しかないという、なんだか大昔のコンピュータのBIOS設定画面のようなものだ。それがまた凄いスピードでスクロールしている。
「なに?」
と、長門は俺を見ずに訊いた。
「……えーとだな」
あのー、長門さん? あなたは一体何をしておいでなのでしょうか。
心で呟く俺の独り言も思わず丁寧調になってしまうくらい、長門のキーを打ち込む姿からは無形のプレッシャーが感じられた。
ふと自分のモニタで確認すると、二十個に分散した <ユキ艦隊> はまるで命を吹き込まれた茶柱のように生き生きと動き回って敵を翻弄していた。すっかり画面の有無など問題にしなくなっているらしい……って、ちょっと待てよ。俺はインチキはすんなって言っておいたぞ。
「していない」
と長門は呟いた。ここではじめて俺のほうを向き、しかし手の動きはそのままに、
「特別な情報操作をおこなっているわけではない。課せられたルールを遵守している」
長門の視線上から離れるように、朝比奈さんが小さな身体を仰け反らせている。長門は俺と目を合わせながら、
「私はこのシミュレーションプログラムに含まれていない行動を取っていない」
「そ、そうなのか。そりゃすまなかった」
なんか怖いオーラがショートカットの頭の上から立ち昇っているようでもあった。
しかし長門の表情も目の色も普段と変わりなく無機質で、にもかかわらずいつもなら「そう」とか言って再び黙り込むはずだが、この時ばかりは次のように言葉を続けた。
「インチキと呼ばれる行為をしているのはわたしではなく、コンピュータ研のほう」
間のいいことに、ハルヒは自分のユニットを <キョン艦隊> から引き剥がすことに成功し、
「遅! どうしてこんな遅いの? パソコンに栄養ドリンク振りかけたら速くなるかしら」
とか言いながら喜々として前線へと移動させるのに夢中のようだった。
俺は朝比奈さんの前に身体を乗り出して、長門に小声で質問した。
「奴らがインチキしてるってのは、どういうことだ?」
超高速ブラインドタッチを寸時も停滞させることなく、長門は無表情に応える。
「彼らは我々のコンピュータ内に存在しないコマンドを使用し、この擬似宇宙戦闘を有利なものとしている」
「どういうこった?」
長門は一瞬沈黙し、考えをまとめるように瞬きして、
「索敵モード・オフ」
と呟いてから、続いて静かな口調で語ってくれた。
その説明によれば、コンピュータ研側が使っているゲームは最初からその「索敵モード・オフ」とやらの状態に設定されていたらしい。そんな切り替えスイッチはもちろん俺たちのほうにはなく、だいたいオンとオフでどう違うのかも解らん。何だそれは。
「オンにすれば索敵行動が義務づけられる。オフの場合はしなくていい。彼らは索敵システムを形骸化し、また必要としていない」
えーとだな、それはいったいどういうことか。
「索敵モードをオフにすれば、マップのずべてがライトアップ表示される」
つまり……、
「マップ全域のすべてが我々の艦隊位置を含めて最初から丸見え」
長門にしては解りやすい説明だ。
「それだけではない」
笑わない宇宙人製人工生命体は淡々と言い募った。
それによると <コンピ研連合> 側の艦隊にはワープ機能までついているそうだ。道理でやけに
タイミング良く姿をくらましていたと得心する。 <SOS帝国> とは技術レベルで五百年くらいの差はありそうだ。戦国時代の歩兵に自衛隊の機甲部隊が襲いかかっているようなものである。それでは勝てるはずがないじゃないか。
「そう」
長門も保証してくれる。
「我々には敗北以外の選択肢がなかった」
なかった----か。過去形だな。それで? 今はどうなんだ。現在形で言い換えて欲しいところだったが、長門の黒い瞳に見たことのない感情の揺らぎを感じて俺はちょっと頭を引きつつ、
「でもな、長門。やっぱり宇宙的なパワーはなしにしたいと思うんだ。連中がズルしてるのはよく解ったよ。しかしさ、だからと言ってこっちがさらにインチキな魔法を使って対抗しちまったら、結局連中と同じことになっちまうぜ。いやそれ以上だ。お前の手品は地球上の法則にあんまり則してやいないからな」
「あなたの指示に違反することはない」
長門は即答した。
「地球の現代技術レベルに則ってプログラムに修正を施したいと思う。既知空間の情報結合状態には手を付けないと約束する。人類レベルの能力にあわせ、コンピュータ研究部への対抗措置をとる。許可を」
俺に言ってんのか。
「わたしの情報操作能力に枷をはめたのはあなた」
…………。
こいつと出会って半年以上が経つ。その間で、俺は長門の無表情の奥に隠された微妙な感情変化----こいつにまともな感情があったらの話だが----を、曲がりなりにも多少は感じ取れるとそれなりの自負を覚えるようになっていた。このとき俺が長門の白い顔にピコ単位で見出したのは、紛れもない決意の色だ。
朝比奈さんが驚いた顔で俺を見ている。古泉も見ているが、ただしこいつは半笑いだ。ハルヒだけが何事かわめきながらビームとミサイルを景気よくまき散らしていて、ほどなく弾切れで敵陣の真ん中で立ち往生することだろう。決断するに残された時間はあまりない。
何て答えよう……そう悩んだのは数秒間程度だった。長門はやる気になっている。こんな長門は初めて見た。思うに、これはいい兆候だという気がしてならないのだ。情報統合思念体に製造された人間そっくりの有機アンドロイド。案外こいつもベタなロボットにありがちな、人間になりたいと言う欲求が芽生えつつあるのかもしれない。
そして俺は、それがよくないことだなんて全然思わないのである。
「よし、長門。やっちまえ」
俺は励ますような笑みを浮かべて太鼓判を押した。
「この世の人間にできる範囲内で、なんでも好きなようにやれ。コンピ研に一泡吹かせてやるんだな。二度と俺たちにクレームをつけることのないように、ハルヒが望むとおりの結末を見せてやるがいいさ」
長門は長い間、俺の主観では途方も長く感じられた時間の間、俺を見つめていた。
「そう」
発したりアクションははなはだ短く、それから長門は実行キーをぱちんと押して、たったそれだけで形勢はいきなり逆転した。
十六時四十七分
狡猾な罠はすでに仕組まれていたのである。
あまりの唐突さに唖然とするほどだが、俺の驚愕ゲージなどまだまだ修行の足りない門前の小坊主並くらいであろう。対戦相手のコンピュータ研連中は、今頃世界恐慌二日目のウォール街程度にパニック状態に陥っているに違いない。
すべては長門がさっきからやっていた分身の指術の結果だった。つくづく味方でよかった。お供え物の一つや二つ自腹を切って進呈してもいい気分である。今度面白そうな本を買ってきてプレゼントしてやるよ。そういやこいつの誕生日はいつってことになっているんだろうね。
まあ、それは後々考えることにして、状況説明に戻らせてもらう。
敵艦隊の数々はプレイヤーの茫然さを体現するように動きを止めていた。
長門は自分のノートパソコンからコンピュータ研のパソコン五台に侵入をはたすと、稼動している
長門はさらに相手側の「索敵モード」をオン状態のままで固定されるように奴ら側のソースを書き換えてしまい、かつ自分以外の誰にも修復できないようにロックした。ただしワープ機能は削除するのではなく、ちょっぴり変更を加えてそのままにしておく。長門考案によるちょっとした謀略さ。
これらを全部、ゲーム中の二十個分艦隊を器用に動かしながら例の宇宙人的能力なしにやってのけたのだから、普通の人間シバリ付けたとしてもこいつはやはり尋常ではないよな。
「さて、ようやくチャンス到来ですよ」
古泉が愉快げな微笑み混じりに画面上の状況をナレーションしてくれた。
「御覧ください <敵C> と <敵D> は無数の <ユキ分艦隊> に阻まれて我々の位置を見失っています。 <敵E> は僕と交戦中で、それから <敵B> ですが、このままですと間もなく <ハルヒ☆閣下☆艦隊> の射程に入ります」
「敵みっけ!」
ハルヒの喜びに溢れた声が響いて、古泉のセリフを証明した。
「撃て撃て撃てー!」
モニタに額をつけんばかりにして、ハルヒは雄叫びをあげている。
鎖から解き放たれた <ハルヒ☆閣下☆艦隊> はビームとミサイルは八方に撃ちまくりながら敵艦隊へと突入していった。泡を食った <敵B> は慌てて急速回頭、逃げだそうするその先には俺の <キョン艦隊> が待ち受けている。
「そらよっと」
俺は人差し指をわずかに動かして、持てるビームのありったけを <敵B> の鼻先に撃ち込んでやった。
「こらキョン、それはあたしの獲物よ! よこしなさい!」
挟み撃ちにされた <敵B> は瞬く間に形を崩していく。ぶるぶる身をよじっていた <敵B> ユニットは、やがて小さなビープ音とともに爆散した。一丁上がり。
さらなる獲物を求め、ハルヒは移動式打ち上げ花火装置と化した艦隊を今度は <敵E> の横腹へと転進させる。古泉と押し合いへし合いをしている <敵E> もまた、二正面作戦を強いられた結果としてざくざく艦数を減らしていった。
苦しげな挙動を見せていた <敵E> だが、ついに万策尽きたと覚悟を決めたのだろう。それまで決して <SOS帝国> 軍の目の前でだけは使わなかった隠しコマンドを強行した。
「あ、消えた! え? 何で?」
ハルヒが叫び、俺はついにこの時が来たことを知った。それまで十字砲火のただ中にいた空間から <敵E> が消滅している。
ワープってやつだ。もうちょっと凝った名前を付けたらいいのに、今どきワープもないだろうよ。
だが、これこそ長門の仕掛けた狡猾な罠の真髄だった。
「あれ。何か違うのが出てきたわよ」
ハルヒの声を聞きながら、俺はすでに手を休めていた。
「きゃっ?」
朝比奈さんも可愛く驚き、しきりに瞬きしながらモニタを見つめる。
「キョンくん、なんかあたしが動かしてたやつ、どっかいっちゃいましたけど……」
ワープしたのは <敵E> だけではない。 <ハルヒ☆閣下☆艦隊> だけをそのままに、敵味方合わせてすべての艦隊が空間移動していた。
長門が変更したプログラム、それは『コンピュータ研のいずれかの艦隊がワープ機能を起動させれば、敵味方の区別なく <ハルヒ☆閣下☆艦隊> を除いたすべての艦隊も同時刻に、及び強制的にワープする。各艦隊におけるワープ後の出現座標は指定したコードに従う』、というものだった。
目には目を、インチキにはインチキを。ただしインチキすぎないように。
隣室の驚愕は索敵モードんときとは比べものにならんだろうな。俺は初めて目にしたコンピ研旗艦艦隊 <敵A> (ディエスなんとか)を画面上に発見し、その出現位置を確認して肩をすくめた。
「因果応報ってやつさ」
部長氏の <敵A> は <ハルヒ☆閣下☆艦隊> のド真ん前に登場させられていた。
その真後ろには同じように飛ばされてきた無傷の <みくる艦隊> がほとんど触れあうような距離にいて、さらにショートワープした <古泉くん艦隊> によって右舷に狙いを定められ、反対側の左舷攻撃を担当するのは再び合体した <ユキ艦隊> であり、斜め横には添え物程度に小さくなった <キョン艦隊> が控えている。コンピュータ研の他の連中がどこにいるかを探せば、広いマップの遥か片隅に四艦隊揃って瞬間移動を遂げていた。そこまで行ってたらもうどうやっても間に合うまい。
<SOS帝国> 軍全艦による包囲網の中で <敵A> 一個艦隊のみが立ち往生していた。
「なんかよく解んないけど」
ハルヒは舌なめずりせんばかりの溌剌とした表情となって、大きく片手を振り上げた。
「全艦全力射撃! 敵の大将を地獄の業火で焼いてあげなさい!」
その合図とともに、ハルヒ、古泉、俺、長門の艦隊が一斉に武装の限りを放出した。あわあわしていた朝比奈さんも、長門の「撃て」という冷たい声にビクッとなりながら、この日初めての攻撃を四面楚歌の <敵A> にたっぷりとお見舞いする。
「ごめんなさい……」と朝比奈さん。
何が何だか解っていないのはコンピュータ研部長だろうな。奥のほうで高みの見物を決め込んでいたらいきなりインチキ索敵が解除され、何もしてないのに突然ワープしたあげく敵陣の真ん中に出現してしまったのだから。
「や、……」
れやれ、と続きそうになって言葉を飲み込んだ。古泉がニヤリと微笑みかけてくる。無視だ無視。
画面に注意を戻すと、部長氏の <敵A> 艦隊は、前後左右の至近距離ビームのシャワーとミサイルの雨をくらい、ひっくり返った草ガメのようにのたうちまわっていた。うーん自業自得と言っても今回ばかりはいいんじゃないかなあ。アンフェアなことを企てたのはそっちが先だしさ。でもまあ、存在している段階ですでにアンフェアな長門有希を持っていたこっちもあんまり偉そうな顔はできないか。
長門の速射砲的キータイピングが、とうとう最後まで休憩なしでいっちまった。 <敵A> 艦隊はバルカン砲の残弾カウンターのように見る見る数を減らしていき、最後に残った一隻を <ユキ艦隊> のドット単位の精密照準されたビームに狙撃され、それが敵旗艦の最期の見納めとなった。
ちょろいファンファーレが鳴り響き、五台のモニタに輝かしい文字が表示されてゲームは終わる。
『You Win!』
十七時十一分。
決着がついてから約十分後、部室のドアをノックする者がいた。
よろよろと入ってきたのはコンピュータ研の連中であり、中でも部長氏はやけっぱちのような口調で、
「負けたよ。完全にウチの負けだ。潔く認める。すまない。謝る。勘弁して欲しい。この通りだ。キミたちを甘く見ていた。間違っていた。完敗もいいところだった」
頭を下げる部長氏の前で、ハルヒは日時計のように鼻高々と立っていた。睥睨するハルヒ閣下の視線を浴びて、コンピュータ研の部員たちは体調のよくなさそうな顔色でうなだれる。
「あんなに見事にスッパリとすべてを見透かされていたなんてね……。僕たちが姑息な手段を使っていたことは申し開きしようもない事実だ。でもまさか……。プレイの最中にゲームの中身を書き換えられるとは……。信じられないけど……これも事実か……」
虚構の別世界にイってしまったような目で部屋を見回す部長氏に、ハルヒは眉毛を片方だけ吊り上げて、
「何ブツブツ言ってんの? 負けたイイワケなんか聞きたくないわよ。でさ、約束は覚えているわよねえ?」
楽しそうに指をちっちっと振っている。勝った嬉しさに浸るあまり、とんでもなく不自然な勝ち方をしたことに対する疑問は頭のどこを探しても見つかりそうにない。こいつにしてみれば、ようするに勝ったもん勝ちなのである。
「もう文句はないでしょ? このパソコンはあたしの物で、それからノートパソコンもあたしたちの物よね。忘れたとは言わせないし、言ったらかなりキッツい目にあわせるわよ。そうねぇ、手始めに『緑色のコビトが追いかけてくる』と叫びながら素っ裸で校庭を十週するの刑に処すわ」
無体な言葉にコンピュータ研部員たちはさらに首を前倒し。それを気の毒に思ったのか気詰まりだったのか、
「あ……、そだ。お茶でもいかがですか?」
気ぃ遣いの朝比奈さんが立ち上がって湯沸かしポットへ向かい、苦笑を浮かべた古泉がガラクタ入れの中から紙コップのパックを取り出していた。長門はパイプ椅子に座ったまま、ハルヒの前に整列して頭を垂れる男子生徒たちを冗談の通用しそうにない目で見つめている。
ハルヒはなおも上機嫌に演説をしているが、その部員たちの列から一人、部長氏がゆらりと離れて俺のもとに近寄ってきた。
「なあ、キミ」と彼はか細い声で、「あれをやったのは誰なんだい? 世界でも通用しそうな凄腕ハッカーは。……いや、だいたい想像はつくんだが……」
長門がゆっくりと俺を見上げ、部長氏は長門を見ていた。
まあな。どうやら部外者から見ても、こんな頭良さげなことをしそうなのは長門が最有力候補に見えるようだ。
「ものは相談だが」
部長氏は長門に向かって
「キミがヒマなときでいい。たまにでいいのでコンピュータ研の部活に参加してみないか? いや、してくれないか?」
なんか勧誘し始めた。さっきまで炎天下に三日間放置された冷凍サンマみたいだった目の色が活気づいている。人間心底参ってしまうと開き直るしか手だてがないのかもな。
長門はモーター内蔵のような動作で顔の向きを部長氏へ移動させ、その動作を逆回転させるようにして俺に向き直った。何を言うでもなく、闇ガラスのような瞳に物問いたげな光だけを反射させて、じいっと俺を見つめている。
「…………」
なんだろう。念波でも送っているつもりなのか。それとも判断の是非を俺にゆだねる意思の現われなのか。そんな顔されても(といっても無表情だが)困るぜ。お前への問いかけなんだ、そんなもん自分で判断すればいい。むしろ、そうすべきだ。
俺が長門をならって無言の光線を返答として送っていると、
「ちょっとちょっと、そこで何やってんのよ」
ハルヒが俺たちの間に割って入った。
「勝手に有希をレンタルしちゃだめよ。そういう話はまずあたしを通しなさい」
やはりデビルイアー、聞こえていたらしい。ハルヒは腰に両手を当て、いっそ誉めたいくらいの偉そうなポーズで、
「いい? この娘はSOS団に不可欠な無口キャラなの。あたしが最初に目を付けたんだからね、後から来たって遅いわよ。どこにもやったりしないんだから!」
お前が目を付けたのは部室であって長門ではなかったはずだが。
「いいの! 有希込みでこの部室をもらったんだから。あたしはこの部屋にあるものは、たとえ泡の抜けたコーラでも誰かにあげたりしないわよ」
それはあたしのだから、と誰にはばかることなくセーラー服の胸元を威勢良く反らすハルヒだった。
「まあ、待て」
俺は言った。そして考えた。
これでも俺は長門の表情を読むことにかけては誰よりも自信を持っているつもりだ。なんたって三年前の長門有希に出会ったことのある男なのだ。感情の顔面的表現をほぼ完璧に抑えている長門だが、まったく無感情でもないらしいと俺は感づいていて、ループモードの夏休み事件でもそうだったし、今回のゲーム対決でもなんとなく解った。そう、いつだったか、市立図書館に誘ったときにも感じたことだ。
長門にだって興味を惹かれるものが少なからずある。
コンピュータ研との
いつまでも涼宮ハルヒの監視だけでは、長門だって疲れるに違いない。宇宙人製有機ヒューマノイドインターフェースだって、たまには気晴らしが必要だ。
「お前の好きにしろ」
今日ばかりは部長氏の肩を持つことにした。
「パソコンいじりは楽しかったか? なら、お前の気の向いたときでいい、お隣さんに行ってコンピュータをいじらせてもらえ。自主制作ゲームのバグ取りでもしてやったら感謝されるぞ。きっとこれよりも高性能な遊び道具が揃ってるだろうし」
長門は無言で、だが微細に表情を揺れ動かしながら俺を見ている。それでいいのかと訊いているようでもあり、どうすればいいのかと尋ねているようでもあった。揺らめく影めいたものが長門の黒飴みたいな瞳を通り過ぎたような気がした。
ずいぶん長い刻が流れたように感じたが、実際は瞬き三回分くらいだったろう。
「……そう」
何がそうなのかと問いただす前に、長門はかくりとうなずき、部長氏を見上げてオクターブの変わらない声でこういった。
「たまになら」
当然ならがハルヒはゴネた。
「勝ったのはあたしたちなのに、どうして大切な団員をレンタルしないといけないのよ。レンタル料は高いわよ。そうね、一分につき千円が最低ライン」
分給千円なら俺が買って出たいね。
「涼宮閣下」
お茶をすすっていた古泉が得意の笑顔を振りまきながら近づいた。
「閣下たるもの、時には敗軍の健闘を讃えることも必要かと存じます。ただ強いだけでなく度量の広さを見せつけるのもトップに立つ者の条件の一つですよ」
「え、そうなの?」
ハルヒは口をアヒルのクチバシ状にしながら、
「まあ、有希がいいんならいいけど……。でも! ノートパソコンは返さないわよ。あ、それからね、」
話している最中に名案を思いついたらしい。ハルヒは部長氏をにらみながらニンマリと笑顔を作る。いそがしい顔面だね。
「いい? あんたたちは敗残兵、勝者の言うことは何でも素直に聞かないといけないの。それが戦争ってもんよ」
お盆をしずしずと持ってきた朝比奈さんからお茶(雁音だったか?)をひったくってガブガブ飲みつつ、
「あんたたち全員、今後あたしに絶対的な忠誠を誓いなさい。うん、悪いようにはしないわ。あたしは実力主義だからね、がんばりようによっては正式な団員にしてあげてもいいわよ。たとえば……そうね、生徒会と全面戦争するときはあたしの手足となって働くの。それまでは準団員ね」
この調子で全校生徒SOS団団員化を企てているのではないだろうな、という俺の危惧も知らずにハルヒは意気揚々と、
「古泉くん、さっそく調印書を作ってちょうだい」
「かしこまりました、閣下」
幼少の皇帝を意のままに操る外戚宰相のような笑みで返答し、古泉はさっそく自分の物になったばかりのノートパソコンになにやら打ち込み始めた。
翌日以降も部室の風景が格別に変化するということはなかった。猫に小判状態のノートパソコンが無駄に増えただけである。朝比奈さんはメイドルックであちこちハタキがけしてからヤカンをカセットコンロにかけ、古泉は一人バックギャラモンをやってて、長門はテーブルの隅で黙然と読書にふけりつつ、次にハルヒが何か言い出すまでのつかの間の平穏を楽しんでいた。
そんな変哲のないSOS団的日々の放課後で、ごくまれに読書好き宇宙人の姿を見失うときがある。いないなと気づいた数分後には、またふらりと現れて読書を再開するから、俺の認識上ではやはり長門はこの部屋の真の主のようなものだった。
「…………」
海外ミステリ小説を原書で読む長門の見た目は、ぱっと見、何も変わっていない。中身が変わりつつあるのかどうかは……さて。俺にも解りようはないな。
長門は相変わらず、ここにこうしてちゃんといる。気まぐれな微風のようにお隣にも顔を出しているらしい。それで充分さ。
「キョンくん、どうぞ。今回は中国のお茶に挑戦してみました。ふふ……どう?」
控え目に微笑む朝比奈さんからマイ湯飲みを受け取り、ゆっくりと味わいながら飲んでみても今までの茶葉とどう違っているのか俺の舌はとりたてて感激したりはしなかった。あなたのくれるものなら雑草ジュースだって美味に思えるに決まってますよ。
俺は感想を心待ちにしている顔の朝比奈さんになんと返答したものかとボキャブラリーを探りながら、当分は変な事件に巻き込まれることもないだろうと考えていた。
その予感が大間違いだったと判明したのは、それから一ヵ月後、冬休みとクリスマスの押し迫った師走の半ばのことである。
涼宮ハルヒの存在を見失ったとき、俺はそれを悟ることになった。